自己啓発系の本やセミナーやネットビジネス系のブログやメルマガを見ていると、とにかく「自己投資の重要性」を強調して説明しているものが多くあります。
その理由のほとんどは「自分の教材を売りたいから」ということが本音であって、そのためのポジショントークであることがほとんどだと思います。
一度、今回はそんな視点から「投資意識」について掘り下げて考えてみましょう。
自己投資は本当に大切か?
特に情報商材系のアフィリエイターやインフォプレナーは、皆、メルマガやブログの読者に自分の教材を買ってもらうことに必死になっていて、自己投資の重要性を説明する目的は「自分の商品にお金を出させること」であることがほとんどだと思います。
私は「自己投資」なんてものは、全くもってビジネスで成功するために本質的に必要だとは思いません。
「お金を払って勉強したらお金を稼げるようになるけど、お金を払わずに勉強したらお金は稼げない」
こんなバカみたいな法則が真理のはずがあり得ません。
ちなみに「自己投資」という意味ですが、ここでは金銭的な投資という意味で考えて下さい。
もちろん、知識やノウハウを仕入れることは間違いなく重要ですし、ビジネスに限らず現代の社会においては「情報弱者」はそのまま「弱者」と言えます。
しかし、ビジネスで結果を出すための知識やノウハウという視点で考えるなら、必ずしも「お金を掛けなければ本物のノウハウを得られない」という理由にはなり得ません。
むしろお金を一円も払わずに日常生活で生きているだけでも、「知識」はいくらでも得ることができます。
思考を行うための種もいくらでも転がっています。
少なくとも、お金を稼ぐための知識やノウハウを体系的に学ぶことが目的なのであれば、数千円の書籍、高くても数万円の情報商材をきちんと吟味して選べば、いくらでも「質の高いノウハウ」は得ることができます。
過剰すぎる「金銭的な投資意識」は間違い無く害にしかならないと私は思います。
まぁこれも表現次第なのかもしれませんが、現在のように様々なところで様々な人間が無責任に「投資意識」を過剰に表現している以上、冷静になって頂くためにも否定的な意見を言うべきかなと私は思ったわけです。
それこそ、ひどい人の例を挙げれば、
「お金を払ったら真剣になって稼げるんです!だからお金を払って学びましょう!」
「投資した10倍が年収になりますから、投資しましょう!」
と真顔で言う人もいるくらいですから(苦笑)
いやいや、そんな体育会系な精神論で投資意識を語られても・・・
いやいや、そんなバカな理屈が通じるはずないでしょ・・・
少なくとも私は、そんな表面的でリスクの方が大きい「手段」に頼っている人間より、本当に大事な部分に目を向けて「目的」に直結する思考ができたり行動できる人を評価しますけどね(笑)
お金を払うことの重要性
私は「投資意識そのもの」は、結局は表面的なものでしか無く、重要なことだとは全く思っていません。
手段の目的化とはまさにこのことですが、「投資することそれ自体」が重要なのではなく、「正しいノウハウを得ること」が投資の本来の目的のはずです。
ただ、補足的な説明になりますが、別の視点から見れば「お金を使う行為そのもの」が、ビジネスを志す者としては重要な行動のひとつ、いや、才能のひとつという見方はできると考えています。
なぜなら、ビジネスを構築するということは、表現を変えれば「お客さんにお金を払ってもらう仕組みを作る」ということです。
となると、「お金を払う人の気持ち」が一切わからないという人間がビジネスを作ろうと思っても、「お客さんにお金を払ってもらうような行動」を取ってもらえるはずが無いと思いませんでしょうか?
これは、具体的な商品を考えて頂く方がわかりやすいかと思います。
たとえば、アニメ、プラモデル、フィギュア、AKB48といった「オタク趣味」というのは、正直に言ってしまえば私も全く「そこに大金を出す人の気持ち」がわからないジャンルです。
いわゆるマニアからしてみれば、プレミアの価値がある商品は、数万円、数十万円のものもザラにあります。
いくら「フィギュア」が売れるということを知っていても、私には「お客さんの気持ち」がわかりません。
かなり綿密なリサーチをすればできるかもしれませんが、今の私ではどうやってマーケティングを仕掛けていけば良いのか正直言って検討も付きません(笑)
要するに「お金を払う行動を取れる」ということそれ自体が、その市場でビジネスをすぐに行える「才能」と言えるかもしれません。
最後に話がブレてしまったのでまとめておきましょう。
ビジネスの知識やノウハウを得ることを目的として「金銭的な投資」を過剰にしていくことは、決して本質的ではありません。
そもそも投資する目的を明確にしていなければ、投資する意味は無いと言って良いと思います。
しかし、それ以上に「お金を払う感覚や感情」という視点で見れば、ときには自分がお金を使ってみる行為を、客観的に観察してみれば、お金を使うことにも価値や意味を見出すこともできるはずです。
今回のテーマは、ビジネスで結果を出していくために、あるいは何かの分野で「成功」を目指すのであれば、多くの方にとって大切な話になると思います。
早速いってみましょう。
普通じゃない「結果」を出す方法
結果を出すということは、「大半の一般人とは違う着地点に辿り着く」という意味と同じになることがあります。
結果や成功という表現をしてしまうと、何か「曖昧で綺麗な言葉」に聞こえるかもしれません。
しかし、その言葉の意味をじっくり考えてみると「他人と比較した場合の優位性を得ている状況」を指していることが多いと思います。
つまり、「結果を出す」ということの意味を考えたとき、ある側面から見れば「他人とは違った着地点を目指す」という意味になると言えます。
だからこそ、私はビジネスを構築していくときに、まずは「どうやったら成功するか」という視点よりもむしろ「いかに違う結果を出すか」という視点を前提として持つようにしています。
そうやって積み上げた先に、後から追うようにして付いてくるものが「成功という結果」だと私は思うからです。
違う結果を生み出す要因
「他人と違う結果」を出すために、私たちはどう行動していくべきなのでしょうか。
目的から逆算をして考えてみましょう
まず、他人と違う結果は「他人と違う行動」から生まれる・・・と考えることができると思います。
ここは当然ですよね。
そして、「行動」は思考が基盤となって、更に言えば「思考」は経験や知識を材料にして作られるものだと思います。
ということは、人と違う「知識」や人と違う「経験」をしていくことこそが、成功のための必須条件であるということが「論理的に」わかります。
他人と違う結果を出したいのであれば、他人と違う「経験」や「知識」をどんどん積み重ねていきましょう。
実際に私が日常生活の中で気を付けていることのひとつは、「一日1回以上、一般的な人が興味を持たないであろう情報を調べたり、一般的には経験しないであろう経験をしてみよう」という意識です。
日頃から「非凡な経験」「非凡な知識」を積み上げることによって、間違い無く「非凡な結果」に繋がっていきます。
もちろん、裏目に出てしまうと悪い意味で「非凡な結果」に繋がってしまう可能性もあるかもしれません。
しかし、成功が「非凡な結果」であることは間違いないのですから、意識的に「非凡な行動」を取っていかなければいけないということです。
「非凡な知識」「非凡な経験」「非凡な思考」「非凡な行動」を積み重ねて「非凡な結果」を生んでいきましょう。
知識を学び、勉強していくことに、本当に意味はあるのでしょうか。
たとえば、「なんで将来に役に立たない勉強しているの?」と疑問を持っている中学生に対して、納得させることができる回答を用意することができますでしょうか?
ちなみに、勉強すること自体を手段として使うような「将来の選択肢を広げるため」といった間接的な回答は無しというルールにして考えてみてください。
なぜ「勉強した知識」は、そのままの意味で役に立つのでしょうか?
少し考えて自分なりの答えを用意してから、続きに目を通してみて下さい。
思考と知識
突然ですが、「思考とは言語そのものである」ということをご存知でしょうか?
是非、試して頂ければと思うのですが、頭の中で言語を使わずして「思考」をしてみて下さい。
・・・たぶん、無理ですよね。
さてさて、もう一歩踏み込んで考えてみましょう。
そもそも「言語」とは一体何なのでしょうか?
私は、言語とは「経験」や「知識」を表すための道具だと考えています。
極論を言ってしまえば、「経験や知識が何も無い人間は言語を必要としない」ということです。
伝えることも、伝えたいことも何も無いのですから。
同時に、言語を使わないということは「思考ができない」ということです。
ということは、何の「知識」も「経験」も無い人間には、「言語」を使うことが無く、つまりは「思考ができない」ということになります。
まぁ「そんな非現実的な状況を考えることに意味があるのか?」と思われてしまったかもしれませんが、極端に考えてみることで本質に迫ることができることは多いため、あえて私はそういう極端な状況を考えることがあります。
で、本題に戻りましょう。
この事例からわかることは、人間の思考量とは、
「思考量 = 知識量 + 経験量」
ということです。
というよりむしろ、知識量や経験量を幅広く持てば持つほど、その人間が「思考できる領域」がどんどんと大きく広がっていくということです。
知識と思考と経験
「あの人ってなんであんなに成長スピードが速いの?」と感じた経験は、これまでの人生の中で一度や二度はあるでしょう。
なぜ、そういった人は「成長度合い」が速いのでしょうか?
逆に、「成長度合い」が遅いと感じる人はなぜ遅いのでしょうか?
まず間違いなく言えることは、
10のことから100を学んでいるか
10のことから1を学んでいるか
この違いにあるということです。
もっと言えば、その「違いの小さな積み重ね」が生んだ「大きな違い」です。
ではなぜ、10のことから100を学べる人と、10のことから1しか学べない人に分かれてしまうのでしょうか。
ここが大きな問題ですね。
その違いを生むものこそが「知識の差」である、というのが私の考え方です。
たとえば、例として「レストランにご飯を食べに行った」という簡単な状況を考えてみましょう。
一般的な人であれば、「ここの店はおいしかった」「サービスが良かった」・・・このような「思考」や「経験」をすることができると思います。
しかし、たとえば自分が「マーケティングの知識」を持っているとすれば、そういった思考や経験以外にも、たとえば「この店はどこで利益を出しているのだろうか」「どんなマーケティングで集客をしているのか」・・・そういった視点でそのレストランを観察することもできるわけです。
要するに、知識がある人間は「一般的な視点」以外の視点を持って「同じもの」を「別のもの」のようにも捉えることができるということです。
「別の視点」があれば「別の思考」ができるわけですから、そのまま「別の経験」ができるという言い方もできるかもしれません。
この「視点の数の違い」こそが、「10から100を学べる人間」と「10から1しか学べない人間」の違いだということです。
補足、
少し最後に話を複雑にしてしまうかもしれませんが、思考量が「知識量と経験量」に比例するのと同じように、知識量は「経験量と思考量」に比例して、経験量は「思考量と知識量」に比例していくのではないか、と考えています。
鶏が先か卵が先か、という話ではありませんが、その最初のタネとして「知識」を増やす方が効率が良いと思うわけです。
この意味に気付くと、きっと時間が経てば経つほどに、ライバルとの差が指数関数的に大きくなっていきますよ。